2007.01.21 (Sun)
愛は家庭から始まります
「愛はどこから始まるのでしょうか。
それは、家庭です。
愛は、家族がいっしょに祈ることで始まります。
父母、兄弟姉妹と共に祈る時に、私たちの家族は一致しています。
家族が一致しているとは、互いに愛し合っていることを意味しています。
まず家族から、愛することが大切です。
愛は家庭から始まります。
ですから両親に、又先生方に祈ることをならってください。
祈れば清い心を持つことができます。
清い心があれば、神があなたを愛しておられるように、あなたも真心から深い喜びをもって神を愛することができます。
なぜなら、心が自由で開かれているからです。
このように祈ることを習うのは大切です。
祈りの結果、信仰が深まり、神が私を愛しておられるようと信じるようになります。
信仰の実りは愛です。
私も愛さなければならないと感じるようになります。
このように、祈り、信仰、愛、奉仕は家庭の中に立派につながっています。
祈りを信じるようになり、信じれば愛するようになり、愛すれば何かよい行動を起こすようになるのです」
このような話を、マザー・テレサは、日本だけでなく世界中でしました。
彼女は、現代の家族が危機的状況にあるのを知っていました。
先進国では、「離婚の増加」「少子化」「引きこもり」「家庭内暴力」などの問題が深刻化し、一つ屋根の下に住みながら、家族の心はバラバラになってしまいました。
本来、家庭はあたたかく人を包み込むものです。
外に行って疲れて帰ってきて、ふとやすらぎを感じ、「やはり、わが家が一番いいな」と思うものです。
そこには、自分が愛し自分を愛してくれる人がいるからです。
マザー・テレサはそのような家庭で少女時代を過ごしました。
修道女になってからは、修道会が彼女のあたたかな家庭でした。
家庭での愛は、互いに互いの幸福を願うことから始まります。
幸福を願うことは、愛を帯びた祈りとなります。
互いに祈り合う家庭は、愛に満たされるのです。
2007.01.20 (Sat)
愛だけがその苦しみを取り除くことができる
自分は理解されていない、愛されていない、大切に思われていないと感じ、生きている意味も見出せず、ただ毎日を仕方なく生きている人が大勢います。
マザー・テレサは言いました。
「いまや、望まれないこと、愛されないことの方が、ハンセン病や結核やガンなどよりもずっとひどい病です。
病気の人々に対しては、薬がありますが、孤独な人々や望まれない人々に対しては、あなたの愛や私の愛だけが、その苦しみを取り除くことができるのです」
マザー・テレサは言いました。
「いまや、望まれないこと、愛されないことの方が、ハンセン病や結核やガンなどよりもずっとひどい病です。
病気の人々に対しては、薬がありますが、孤独な人々や望まれない人々に対しては、あなたの愛や私の愛だけが、その苦しみを取り除くことができるのです」
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2007.01.19 (Fri)
大切な人なのですよ
マザー・テレサは、世間に見捨てられ、身も心もズタズタになって路上に倒れ伏し、死の寸前にある人を見捨ててはおけません。
ボロ切れのような体を丹念に洗い清め、髪を短く刈ってやり、粗末ながらも清潔な衣服に着替えさせて、ベッドにそっと横たえてあげます。
しっかりと手をにぎり、話すことができない瀕死の人には目で語りかけながら、ゆっくりと温かいスープを口に運んであげます。
「あなたも私たちと同じように、この世に望まれて生まれてきた大切な人なのですよ」
マザーは、そう話しながら、もう一度力をこめて手をにぎります。
せめて、人間らしく死なせてあげたい……マザー・テレサの心はそのような思いでいっぱいだったのです。
彼女のこのような思いは特に、貧しく傷つき、誰からも顧みられることのない人々に向けられました。
しかし、本当は彼女の目の前にいる人すべての人に、そのまなざしは注がれていたのです。
「あなたも、この世に望まれて生まれてきた大切な人ですよ」
この世に生まれた人は、一人ひとりすべて、神さまから望まれて生まれてきた人だとマザー・テレサは確信していたのです。
2007.01.18 (Thu)
何か美しいものを持っているものです
マザー・テレサがベネズエラに行ったときのことです。
ある家族が子どもたちのための家をつくるようにと土地を寄付してくれたので、彼女はその家族のところにお礼を言いに行きました。
すると、その家にとても重い障害を持った坊やがいたのです。
その坊やはとても美しい目をしていました。
瞳はいつもキラキラと輝いていて、口元にはほほえみをたたえていました。
マザー・テレサは、その子のお母さんに、
「この坊やの名前は?」と聞きました。
すると、お母さんは言いました。
「この子の名前は、愛の博士です。愛の博士と私たちは呼んでいるのですよ。
この子は私たちにどうやって生きていったらいいのか、
どうやって愛したらいいのか、どうやって幸せに暮らしていったらいいのかということを、このほほえみで教えてくれるんです」
その小さな子どもは、他の人の目からすれば何ももっていないように見えるかもしれません。
でも、どんなに体が不自由でも、この子は目にたたえた喜びで、親や兄弟、そして他の人にどのように愛するかを教えてくれていたのです。
マザー・テレサは、この世に不必要な人は一人もいないと信じていました。
だれもが神さまに愛されて生まれてきた存在なのだと疑いませんでした。
たとえ、どんな障害をもっている人でも、
ともすれば何もできないように見える人でも、何か美しいもの、
その人らしい素晴らしいものをもっていると思っていました。
マザー・テレサは、貧しい人、苦しんでいる人、病気の人、
障害をもった人、孤独な人をただあわれんでいたわけではありません。
美しく素晴らしい存在だと思っていました。
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2007.01.17 (Wed)
子どもを恐れないでください
来日したとき、マザー・テレサは日本で堕胎が多くおこなわれていることに胸を痛め、こう語ったことがあります。
「子どもを恐れないでください。
もうひとりの子どもに食べさせることができないのではないかと、
懸念しないでください。
もうひとりの子どもを育てることができないのではないかと、
心配なさらないでください。
みなさまは、この日本に実に多くの物をもっていらっしゃるではありませんか。
神は、日本をこんなにも豊かに祝福してくださっているのではありませんか。
ほんとうにすばらしい、多くの物に恵まれた日本は、物質的な面からすれば、偉大な国ではありませんか。
どうして、そんなに子どもを恐れなければならないのですか?」
「子どもを恐れないでください。
もうひとりの子どもに食べさせることができないのではないかと、
懸念しないでください。
もうひとりの子どもを育てることができないのではないかと、
心配なさらないでください。
みなさまは、この日本に実に多くの物をもっていらっしゃるではありませんか。
神は、日本をこんなにも豊かに祝福してくださっているのではありませんか。
ほんとうにすばらしい、多くの物に恵まれた日本は、物質的な面からすれば、偉大な国ではありませんか。
どうして、そんなに子どもを恐れなければならないのですか?」
2007.01.16 (Tue)
家族がともに祈るならば、皆に清らかな心が戻ってきます
マザー・テレサは、日本の家庭でさまざまな問題が起こり、
崩壊が進んでいるのを知ってこう言ったことがあります。
「家庭が崩壊に向っているのは、日本ばかりではありません。
豊かな国ほどその危険にされされています。
それは、人々が祈りの生活を忘れているからです。
豊かな国の家庭ほど、よりぜいたくな生活がしたい。
もっと楽をしたい。
他人よりいい地位につきたい。
そういうことに時間をとって、祈ることを忘れたからです。
家族がともに祈るならば、皆に清らかな心が戻ってきます。
清らかな心には自然に愛が芽生えてきます。
愛が芽生えると、そこには仕え合う心が大きくなって、
一致が戻ってきます。
そして、一致のある家庭は崩壊することがありません」
2007.01.15 (Mon)
平和はほほえみから始まります
マザーは、ほほえみについて、次のような言葉で私たちに教えてくれたことがあります。
「平和はほほえみから始まります。笑顔なんかとても向けられないと思う人に、一日五回はほほえみなさい。
平和のためにそうするのです。
神の平和を輝かせ、神の光をともして、世界じゅうのすべての人々から、あらゆる苦しみや憎しみや、権力への執着を消し去りましょう」
誰かかにほほえみかけることは、小さな、本当に小さなことです。
しかし、「笑顔なんかとても向けられない人」にほほえもうとするのなら、誰にとっても難しいことだと言わざるを得ません。
しかも、一日五回も……。
これは、わずかなりとも愛がなくてはできないことです。
2007.01.14 (Sun)
与えることにどれだけの愛を注いだかです
一時期、マザー・テレサのところに砂糖がまったく入らなくなったことがありました。
そのため、何千人もの孤児、病人、貧しい人たちにも砂糖を分け与えることができませんでした。
その四歳の子どもは、学校で先生から話を聞くと両親に言いました。
「ぼくは、今日から三日間砂糖を食べないよ。
ぼくの分をマザー・テレサにあげるんだ」
しばらくして、両親とともに男の子はマザー・テレサに会いに行きました。
手にしっかりと砂糖の入った小さなビンを握りしめ、マザー・テレサに差し出しました。
それは、男の子が三日間自分を犠牲にしてためたものだったのです。
マザー・テレサは、この話を世界中至るところでしました。
「その小さな子どもがくれたものは、
それを私たちが貧しい人々に分け与える時に、
計り知れないくらい大きなものとなって、彼らの手に渡ることでしょう。
私は、その子どもから本当に大切なことを学びました。
この幼い子どもは大きな愛で愛したのです。
なぜなら、自分が傷つくまで愛したからです。
この子どもは私にどのように愛するかも教えてくれました。
大切なことは、いくら与えたかではなく、
与えることにどれだけの愛を注いだか、であると」
2007.01.13 (Sat)
沈黙の実りは祈り
マザー・テレサの名刺には
次のような言葉が書いてありました。
沈黙の実りは祈り
祈りの実りは信仰
信仰の実りは奉仕
奉仕の実りは平和
彼女は言いました。
「この名刺は人々を考えさせます。
受け取った人の中には、手の中にそれをしっかり持って、
何回も何回も読む人がいます。
そして、説明を求める人がいます。
心の平和の中で生まれる祈りからすべてのことは始まるのです」
2007.01.11 (Thu)
今日、私のこの手をお使いください
マザー・テレサ
主よ、今日一日、
貧しい人や病んでいる人を助けるために、
私の手をお望みでしたら、
今日、私のこの手をお使いください。
主よ、今日一日、
友を欲しがる人々を訪れるために、
私の足をお望みでしたら、
今日、私のこの足をお貸しいたします。
主よ、今日一日、
優しい言葉に飢えている人々と語り合うために、
私の声をお望みでしたら、
今日、私のこの声をお使いください。
主よ、今日一日、人は人という理由というだけで
どんな人でも愛するために、
私の心をお望みでしたら、
今日、私の心をお貸しいたします。
主よ、今日一日、
貧しい人や病んでいる人を助けるために、
私の手をお望みでしたら、
今日、私のこの手をお使いください。
主よ、今日一日、
友を欲しがる人々を訪れるために、
私の足をお望みでしたら、
今日、私のこの足をお貸しいたします。
主よ、今日一日、
優しい言葉に飢えている人々と語り合うために、
私の声をお望みでしたら、
今日、私のこの声をお使いください。
主よ、今日一日、人は人という理由というだけで
どんな人でも愛するために、
私の心をお望みでしたら、
今日、私の心をお貸しいたします。
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